秋の味。
秋。
ホッキョクグマの秋。といえば・・・
男鹿水族館では毎年恒例となりました!
鮭です。
豪太くん早速つかまえちゃってます。
早いですよ・・・。
豪太、ちょっと丸くなったかな?
寒くなってきたせいか、ホッキョクグマもペンギンもアザラシ達も、食欲が
あがってきました。。
さて、今年の4月にGAOに来たクルミにとっては初の秋田で迎える秋!
男鹿の海で採れた新鮮な鮭を、クルミにもプレゼントです~。
今年の鮭も
大物です!
この鮭は地元の漁師さんがとってきてくれるもの!
新鮮ですよ~。
一生懸命追いかけます。
早速がぶりです。
クルミは魚も大好きみたいです。
この時期は肉や魚を一番食べます。
後で知ったんですが、クルミは鮭を何一つ残さず食べたそうです。
骨のひとかけらも残っていなかったそうです。
クルミスマイルですか?
よくよく見ると、口のまわりにはしっかりと血が・・・
このような姿を見ると、やはりこう、怖さといいますか、動物への尊敬といいますか・・・
そんなものを感じます。
秋限定ホッキョクグマ鮭捕獲大作戦は、10月の土・日曜日と11月の3・5・6・12・13日の
ホッキョクグマのエサのじかん(豪太11:40~ クルミ13:30~)にあわせて行います!
鮭は漁期が決まっていますので、もしかしたら違う魚をプレゼントの可能性も大ですが・・・
そのときは、ご了承くださいね。。
以下、私の独り言です。
さて、ホッキョクグマのエサの中にはこの鮭のように、他にも活きた魚を与える日があります。
(毎日ではありません)
新鮮なエサはやはり栄養の状態も良いですし、ホッキョクグマも活きた魚を追うことが刺激にも
なります。
このとき、この言葉を思う人がたくさんいるのではないでしょうか。
「かわいそう」
人間はもちろんのこと、地球上では他の命をもらって生きるという行為が常に起こっています。
もちろんそれが、生物が生きていくための根源にもなっているわけですが。
「ブタがいた教室」という映画がありますよね。
あるクラスでブタを飼育し、そのブタを最後は皆で食べようという映画です。
実話だそうですね。
これがテレビでロードショーになった翌日、これに対して話していたスタッフがいました。。
「ど直球な内容の映画ですね。」
「わかっていてもなかなか表に出さない部分に切り込んだ、なかなか厳しい映画。」
「こわい映画だと思う。」
スタッフの家族で以前、テレビで肉食の動物が獲物を狩っている光景が流れたとき、
幼稚園に通っているお子さんが「かわいそう」と言ったそうです。
そのとき、親は「貴方もご飯を食べて、生きているでしょ。命をもらって生きているんだよ。
それと同じなんだよ」と言ったそうです。
だからかわいそうではないんだよ、ということまで伝えるべきかと思ったそうですが・・・
「かわいそう」という感情を持つ必要はないというわけではないわけで。
弱い者が強い者に攻撃してる、かわいそう、でもそれはかわいそうではないんだよ。
とまわりが決め付けてしまえば、(後で考えてこれはちょっと極端だったかもしれませんが)いじめを
みても「かわいそう」ではないんだよ。ということにも繋がるのかなあと・・・。
もちろん、自然界において強者が弱者を攻撃する理由は多々ありますが、自然界では弱肉強食が
当たり前。生きるために当然のことなのです。「自然界ではあいまいな部分が削られる」というフレーズを
以前何かの本で読んだことがあります。
その日の結論は、「かわいそうだ」と思った気持ちを「かわいそうではないんだよ」と否定する必要は
ないのではないかと。
問題は、「かわいそう」という気持ちを持ったあとです。
小さいころは漠然と「かわいそう」と思って終わりでも、その後成長していく中で必ず似たようなケースに
あたることがあるはずです。(私はそう思います)
そのとき、本人がどう思うのか。どういう気持ちを持って、行動するのか。
他の水族館の職員の方とお話したとき、水族館の水槽の中でアザラシが生きた魚を食べているのは
「アザラシが魚食べてる~かわいいね」ですが、アザラシがホッキョクグマに食べられるというのは
「かわいそう」なわけです。このギャップはどうなのか。
これもむずかしい話ですが、食物連鎖の中の命を伝えるのも水族館の役目ではないかと、その方は
話してくれました。
「ブタがいた教室」の放送される日を私は知っていたのですが、観ませんでした。
観ようかという気持ちはあったのですが、結局観ませんでした。
「目をそむけた」といったほうがいいのかもしれませんね。
この映画、実話をもとにした映画なので役者さんたちが演じているんですよね。
はじめ台本には、結末が記入されてなかったというのを何かで読みました。
結末はここでは書けません。
ホッキョクグマのみではなく、生物達に与えるエサに対して
「ありがとうございます」の気持ちを忘れてはおしまいだと思った日でした。
もちろん、私たちが普段口にしている食料に対してもこの気持ちを忘れてはいけませんね。。
今回も明確な言葉が出せず終わってしまいますが、自分がこうして生きていることに対して
周りへ感謝の気持ちを忘れずにいきたいと思います。